千少庵
せんしょうあん

天文15年(1546)〜慶長19年(1614)。千家2代。千利休の後妻宗恩の連れ子。利休の自刃後、会津の蒲生氏郷のもとに預けられていたといわれる。千家再興が許されてからは、京にもどり、息子の宗旦とともに茶家としての千家の確立につとめた。

表千家不審菴 閉じる