山上宗二
やまのうえそうじ

天文13年(1544)〜天正18年(1590)。堺の町衆で、屋号は薩摩屋。千利休の高弟として知られ、『山上宗二記』を著した。織田信長・豊臣秀吉の茶堂の立場にあったが、秀吉の怒りにふれて諸国を流浪し、小田原の陣で一旦秀吉のもとへ戻るが、最後には耳鼻をそがれて惨殺されたという。

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