蒲生氏郷
がもううじさと

弘治2年(1556)〜文禄4年(1595)。会津若松92万石の城主。千利休に茶の湯を学び、「利休七哲」の筆頭にあげられる。利休の自刃後、千家の再興が許されるまで、少庵を会津若松で保護したと伝えられ、徳川家康とともに千家の再興に尽力した。

表千家不審菴 閉じる