少庵召出状
しょうあんめしだしじょう

徳川家康と蒲生氏郷が連名で千少庵に宛てた書状。天正19年(1591)、千利休の自刃によって千家は一家離散となったが、千家の再興を許す豊臣秀吉の意向をうけて、京都へ立戻るように求めた。表千家では年頭初釜をかざる掛物として秘蔵している。

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