千利休の座像で、三千家にまつられている。利休没後につくられたものだが、利休存命中の天正17年(1589)、利休が修復を寄進した大徳寺山門「金毛閣」には、利休の木像が掲げられた。頭巾をかぶり、雪駄をはき、杖を持った立像であったという。天下人の秀吉もその下をくぐる金毛閣の上にこの木像が掲げられたことが、利休切腹の原因になったともいわれる。なお、利休の切腹に際し、この木像は一条戻り橋で磔にされたという。