小学校時分、わたしは二学期が一番好きだった。
昭和23年生まれゆえ、小学校高学年でも昭和30年代前期である。終戦からまだ十余年が過ぎた程度の社会は、大いに貧しかった。
が、貧乏家庭が大半で、金持ちが肩身を狭くしていた時代だ。
こどもは貧乏を当たり前と受け入れていた。
そんな暮らしのなかでも12月の声を聞けば、高知にただ一軒しかなかったデパートはクリスマスの飾り付けを始めた。赤白の衣装を身につけたサンタクロースが、デパートの入り口でハンド・ベルを鳴らしていた。
クリスマス・ケーキやツリーの飾り付けとは、まるで無縁の母子家庭だった。それでも母は、なんとかカネを工面したのだろう。25日の朝には、銀の長グツに詰まった菓子を枕元に置いてくれた。
町の様子は26日から一変した。
クリスマス飾りがすべて取り払われて、代わりに巨大な門松が座っていた。
あの時代の高知は、特産の杉を求めて諸国から仲買人がおとずれていた。その景気よさのおこぼれが、巨大な門松と化していたのだ。
真冬でも濃緑を際立たせた杉の葉。
大きな赤い実を結んだ南天。
香りすら漂っていた、威勢のいい青竹。
こどもの背丈をはるかに越えた門松は、新年近しを教えてくれた。
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