土田家はもともと江州蒲生郡土田村、今の近江八幡市土田町出身の武家でした。京都に出てきた初代半平は、表千家三代元伯宗旦と親交のあった茶人で袋物師亀岡二得の子である亀岡宗理にその技術を教わり、秘伝一切を伝えられました。そして袋師としていまの押小路御幸町に住み、六代覚々斎の引き立てをいただいて千家の御用をつとめることになりました。それからおよそ300年になりますね。このあたりでは一番古い家ということになっております。
初代半平は、七代如心斎と俳諧を通じた交わりもありました。あるとき、如心斎とともに大津の石山寺へ参詣し、琵琶湖に船を浮かべて観月の遊びをしていたときに、何かを感じた半平は船上で剃髪したそうです。そのとき如心斎から「友湖」の号をいただきました。あわせて如心斎より石山の竹を削った「石山」と銘された茶杓を記念にいただき、現在もわが家に伝わっています。箱には「石山ノ竹 船中ニテ削ル 如心」と書付があります。
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