【大意】
口切の茶を去る(九月)七日より切りはじめ、大徳寺の和尚方そのほかの人びとを、毎日、菓子で招いています。
元伯宗旦(げんぱくそうたん)が、承応元年(1652)9月23日付で、息子の江岑宗左に宛てた手紙のなかで、このように書いています。9月7日より口切の茶をはじめたといいますが、現在の暦では11月の初旬にあたりますので、まさに口切の時節です。宗旦が日ごろから親しくしている大徳寺の和尚方を中心に客を招いたようですが、注目すべきは、菓子だけで茶をふるまっているということです。
茶事では懐石(料理)が出されます。しかし、宗旦は懐石を出さずに菓子だけで茶をもてなしたのです。宗旦はしばしば「菓子の茶」をおこない、時には、豆腐一種だけを菓子のかわりとして、茶をふるまうこともあったようです。また、慶安2年(1649)4月5日、奈良の松屋久重は宗旦の茶会を茶会記に書きとめていますが、この茶会も菓子(餅二つ)のみの茶会でした(『松屋会記』)。