世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

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茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

その1  その6  その11

その2  その7  その12

その3  その8  その13

その4  その9  その14

その5  その10 その15

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

千宗旦 「元伯宗旦文書」より その2
口切去七日よりきり候て、大徳寺衆其外、日々菓子にてよひ候

宗旦が菓子の茶をおこなったのは、けっして裕福ではなかったからです。宗旦は生涯、茶の湯をもって大名家に仕えることをせず、利休のわび茶の継承に徹し、千家を守りました。ですから、時には経済的に窮することもあったのです。まさに清貧です。しかし、千家の当主として口切の茶を欠かすことはなく、しばしば菓子の茶もおこなったのです。
利休は、茶の湯の料理は質素であるべきことを主張し、一汁二菜あるいは一汁三菜をよしとしました。しかし、宗旦は料理そのものを省いてしまい、菓子だけで茶をもてなしたのです。経済的な理由はあったにせよ、それは「わび宗旦」と称された宗旦自身のわび茶の表現でもあったのでしょう。こうした菓子の茶の湯であっても、宗旦の茶をのぞむ人は多く、宗旦は多くの人びとから慕われました。

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