世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

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茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

その1  その6  その11

その2  その7  その12

その3  その8  その13

その4  その9  その14

その5  その10 その15

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

千宗旦 「元伯宗旦文書」より その12
石鉢ちいさき宗易ふん候て、飛石すへかへ、やま石建仁ニあり

おそらく宗旦は、建仁寺において露地の作事にたずさわるなかで、そこにあった山石が気に入り、自分の露地にも欲しくなったのでしょう。わざわざ建仁寺より山石を取りよせ、自分の露地の飛石としたのです。手紙には「山石面白候」と記していますから、この山石はよほど宗旦の意に叶ったものであったと思われます。
ここに見える「三五郎」は織田長好(ながよし)のことで、織田信長の弟、織田有楽(うらく)の孫です。この時、建仁寺に住んでいました。有楽は利休の弟子の一人に数えられる大名茶人で、その茶の湯を継承した三五郎は、有楽ゆかりの茶の湯道具を多く所持していました。江岑茶会記には、こうした道具を用いた三五郎の茶会が何回か記録されています。
宗旦の手紙には、宗旦が三五郎に振る舞われたことや、三五郎の病気回復を喜ぶ文面もあり、両者の親交がうかがえます。また、三五郎は遺品として茶の湯道具を宗旦や江岑、仙叟に贈っています(『織田三五郎遺品分配目録』)。

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