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江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その1
茶之湯ハ二十年もいたし不申候てハならす候、…

ところで、江岑茶会記の正保3年(1646)3月14日の石川素閑の茶会には、「茶 春松 御物残」と記されていますが、これは江岑が記録した700回の茶会記のなかで唯一の茶の記載です。「春松」は宇治の御物茶師(ごもつちゃし)上林春松。御物茶師は将軍家の茶壺に茶を詰めた御用茶師です。石川素閑が用いた「御物残」は、将軍家に献上した茶の残りですから、極のなかでも最上級でした。
これ以外の江岑の茶会記に茶の記載がないのは、茶が記載に値しないような悪い品質であったからではなく、茶の銘柄を書く習慣がなかったためでしょう。しかし、この茶はすこぶる貴重なうえに味わいも印象に残ったので、特別に書き留めたのだと思われます。江岑は招かれたすべての茶会で「極」の茶を飲んだとはかぎりませんから、2、3斤もの「極」を飲むのは容易なことではなかったかもしれません。しかし、生涯を通じて700回もの茶会に参会した江岑であればこそ、経験をふまえてこうしたことばが記されたといえるでしょう。

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