【大意】
茶の湯はろくでなければよくない、だて(伊達)な事は悪いものである。
江岑宗左の聞書き『逢源斎書』(ほうげんさいしょ)に見えることばで、茶の湯の心構えについて述べたものです。
「ろく」とはまっすぐでゆがみがないことです。「だて(伊達)」は人目を引くような派手なことを言います。
このあと江岑は能を例に出して、「上手な人の能には、派手なところも、わざとらしいところもなく、すらりと扇子も持ちあつかっている」と続けています。「すらり」ということばは、自然で滞りない様子を言いますから、扇子の扱いも、能における一連の所作にすっかりとけ込んでいるということです。それは、淡々としていて面白味のない様子であるとも言えます。