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その1  その9  その17

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江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その10
深キ心持ニ候

利休が何歳頃の話であったのかはわかりませんが、仮に18歳くらいとすれば紹鴎は38歳ということになります。

紹鴎茄子の茶入は、現在も伝わっている紹鴎所持の大名物の唐物茶入で、当時から茶人の間でことに有名でした。紹鴎は茶の湯の弟子である利休にこの茶入をなかなか見せませんでしたが、ある年の大晦日の晩、紹鴎を訪ねてきた利休に対し、紹鴎茄子の茶入で茶をもてなしたという話です。
江岑はこの話を自ら書きとめ、最後に「深い心持ちである」と締めくくったのです。それは紹鴎の利休に対する深い心持ちということでしょう。
紹鴎が、それまで何度か機会がありながら与四郎に紹鴎茄子の茶入を見せなかったのは、その茶入で一客一亭の茶の湯をして、与四郎をもてなそうと考えていたからではないでしょうか。ただ見せるだけならいつでもできたはずです。しかし、紹鴎は紹鴎茄子の茶入で利休をもてなす機をうかがっていたのかもしれません。
江岑はこの短いことばのなかに、紹鴎と利休がいかに強く結ばれていた師弟であったかを伝えようとしたのでしょう。

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