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茶の湯の楽しみ

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茶人のことば

村田珠光「心の文」

その1

その2

その3

その4

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

村田珠光「心の文」その4
心の師とハなれ、心を師とせされ

この矛盾に対する答えとして、珠光は「心の師となりなさい」と言ったのです。この言葉は、仏典や日本の古典にも見えますが、珠光はそれを茶の湯の心得として説きました。
「心」とは我慢、我執も含めたさまざまな欲望や意識すべてです。そうした心を、必要な時には使い、不要な時には捨てられるように、自由自在に使いこなせる人間でありたい、というのが珠光の結論でした。それが心の師(先生)となることです。心の命ずるままに行動するようではいけないのです。
「心の文」が、茶の湯をはじめて道としてとらえ、その心のあり方を説いた文であることはすでにふれました。しかし、珠光のこの一文は茶の湯の世界を越えて、現代のわれわれも学ぶべき点が多い名文であるといえるでしょう。

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