世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

その1  その9  その17

その2  その10  その18

その3  その11  その19

その4  その12  その20

その5  その13  その21 

その6  その14  その22 

その7  その15  その23

その8  その16  その24

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その19
りんさい、有楽焼也

これらの記述をあわせると、江岑の時代(江戸時代前期)には、「利休七種」として伝えられている茶碗のうち、「大黒」「東陽坊」は長次郎作で、「早舟」「木守」「臨済」「検校」は京焼と呼ばれており、「早舟」は駿河、「臨済」は織田有楽の作という伝承があったことがわかります。
近年の茶陶の研究によれば、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、長次郎の焼いた茶碗と同じような特徴をもつ茶碗が京都でほかにも焼かれ、それらは「京焼」と呼ばれていたことが明らかにされています。そうした茶碗の作者の一人に駿河という人がいたことも考えられるでしょう。また、織田有楽が茶の湯の道具を細工して焼いたという伝承はほかの史料にも見られます。
江岑が書きとめた伝承は、これまで長次郎作の茶碗とされてきたものに対して、新たな可能性を見直すうえで貴重な史料とされています。

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