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   「少庵の事績 京都と会津」

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武野紹鴎 『山上宗二記』より その1
連歌之仕様ハ枯かしけ寒かれと云(中略)茶ノ湯ノ果ハ如此有度物をな
【大意】
連歌の境地は「枯かじけ寒かれ」というが、茶の湯の極意もまたそのようにありたいものだ。

千利休の高弟、山上宗二(やまのうえそうじ)が書いた『山上宗二記』に見える言葉です。 武野紹鴎に茶の湯を学んだ辻玄哉(つじげんさい)が紹鴎の言葉として語ったといいます。玄哉は京都の有名な連歌師で、茶人でもありました。
『山上宗二記』には、武野紹鴎は三十歳まで連歌師で、三条西実隆(さんじょうにしさねたか)より藤原定家の歌論書『詠歌大概(えいかたいがい)』を伝授され、茶の湯を分別して名人になった、と記されています。
若き日の紹鴎は、京都に住んで、公家の三条西実隆に歌学を学んでいます。実隆は古典や歌学にすぐれ、室町時代を代表する知識人でした。実隆の日記である『実隆公記』には、紹鴎がしばしば登場し、紹鴎は実隆からさまざまな歌学を伝授されています。
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