世界の喫茶文化

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千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

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随流斎 「随流斎延紙ノ書」より その8
道六と云侘有
【大意】
道六という侘び茶人がいた。

随流斎は「一、奈良、紹鴎時代、道六と云侘有」(紹鴎の時代、奈良に道六という侘び茶人がいた)と書きとめています。
道六は奈良の子守社(率川〈いさかわ〉神社)の近くに住んだことから子守道六とも呼ばれました。道六について詳しいことはわかりませんが、『松風雑話』という茶書には次のような逸話が記されています。
「奈良の道六は利休時代の侘び茶人で、農作を業(なりわい)とし、毎日野から帰ると鋤(すき)や鍬(くわ)をきれいにして飾っておいた。道六は唐物の茶入を所持していたが、病気になってから二人の子供を呼び寄せて言った。世の中に茶入がたくさんあるなかで、これは利休も紹鴎もほめたものである。私の侘びた茶の湯にふさわしい茶入としてほめたのだ。しかし、道六はこの茶入が兄弟不和の原因になるかもしれないといい、それを打ち割って亡くなった」。
道六が所持した茶入は、道六の侘び茶にふさわしいとして利休も紹鴎もほめたというのです。道六は利休とも交流があり、道六が利休に宛てた書状も現存しているといいます。


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