世界の喫茶文化

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武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

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千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

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随流斎 「随流斎延紙ノ書」より その9
利休所持南堂墨跡
【大意】
利休が所持した南堂の墨跡

利休が所持した墨跡に関する記載で、「利休所持南堂墨跡、灰屋常(紹)益方ニ有、欲了庵墨跡ノ事」(利休が所持した南堂の墨跡は、灰屋紹益のところにある。欲了庵の墨跡の事である)とあります。
南堂は、中国元代の臨済宗の僧、了庵清欲(1288〜1363)の号で、欲了庵と通称されました。その墨跡は茶の湯で重んじられ、利休も南堂の墨跡を所持していて、実際に茶会でも用いています。
利休が所持した南堂の墨跡は、随流斎の時代、灰屋(佐野)紹益(1610〜91)のもとにありました。紹益は灰屋の屋号をもつ京都の豪商でしたが、和歌にすぐれ、俳諧、書、茶の湯などに深く通じた文化人でもあり、『にぎはひ草』の著作もあります。また島原の名妓、吉野太夫を妻とした話は有名です。
表千家不審菴に伝わる随流斎自筆の茶会記には、随流斎が灰屋紹益を招いた茶会も記録されていて、茶の湯の親交があったことがわかります。随流斎が灰屋紹益の茶会に招かれ、この南堂の墨跡が掛けられたといったような記録は残されていませんが、実際にこの墨跡を見ている可能性は大きいと思われます。


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