世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

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静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

その1  その6  その11  

その2  その7  その12

その3  その8

その4  その9

その5  その10

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

随流斎 「随流斎延紙ノ書」より その12
利ハ古渓をタツトフ也
【大意】
利休居士は古渓和尚を尊んだ。

随流斎が利休居士の伝承として、『随流斎寛文十年本』に書きとめた一文です。
古溪宗陳(こけいそうちん・1532〜87)は大徳寺第百十七世の住持。堺の南宗寺から大徳寺に入り、笑嶺宗(しょうれいそうきん)の法を嗣ぎました。利休と親しかった春屋宗園(しゅんおくそうえん・1529〜1611)とは同じ門です。
古溪和尚は利休居士とたいへん親しく交わり、利休居士の参禅の師でもありました。利休居士が大徳寺門前の屋敷に建てた茶室「不審菴」の名は、古溪和尚が利休のもとめに応じて、「不審花開今日春」の禅語から付けたと伝えられます。そして不審菴は表千家を象徴する茶室として、こんにちまで歴代家元によって大切に継承されてきました。
利休居士の茶の湯は古溪和尚にたいへん大きな影響を受けました。利休居士は茶会の道具のなかで、掛物としてことに禅僧の墨跡を重視しましたが、古い時代の高僧の墨跡が尊ばれているなかで、時代を共に生きている古溪和尚の墨跡を掛けたのです。それは、利休居士が古溪和尚をこよなく尊敬していたからにほかなりません。心から敬慕の念を抱く人であれば、過去の人ではなくとも、その人の書を床にかけて拝する。利休居士はそうした茶の湯をおこないました。



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