世界の喫茶文化

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千宗旦「茶杓絵讃」より

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   「少庵の事績 京都と会津」

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その2  その7  その12

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随流斎 「随流斎延紙ノ書」より その13
一、道安、妙連(蓮)寺前ニ被居タ、又、伏見ニも被居候よし。
【大意】
道安は妙蓮寺前に住んで居られた。また、伏見にも居られた。

随流斎は『随流斎寛文八年本』や『随流斎寛文十年本』に少庵や道安の伝承も書きとめています。この一文は後者に記されている道安の伝承です。道安は天文15年(1546)、千利休居士の長男として和泉国堺(現在の大阪府堺市)の今市町に生まれ、慶長12年(1607) 2月17日に62歳で没しました。道安が生まれた同じ年には、利休の後妻宗恩の子で、利休居士の養子となった少庵も生まれています。
道安は父の利休と共に豊臣秀吉の茶堂(さどう)もつとめていましたので、堺を拠点としながら、京都にも屋敷を持っていました。その場所が妙蓮寺の前であったといいます。妙蓮寺は本門法華宗の大本山で、現在、京都市上京区寺ノ内通大宮東入ルにありますが、もとは四条大宮にあり、天正15年(1587)の秀吉の聚楽第造営によって現在の地に移されました。道安がいつ頃、妙蓮寺の前に住んでいたのかはわかりませんが、妙蓮寺が現在の地に移された後のことと思われます。



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