世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

その1  その6  その11  

その2  その7  その12

その3  その8  その13

その4  その9

その5  その10

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

随流斎 「随流斎延紙ノ書」より その13
一、道安、妙連(蓮)寺前ニ被居タ。又、伏見ニも被居候よし
また、道安は伏見にも居たと記されています。天正19年(1591) 2月28日に利休居士が自刃してからしばらくの間、道安の動向については確かなことがわかっていません。しかし、博多の豪商神谷宗湛の茶会記『宗湛日記』には、慶長2年(1597) 3月1日、道安が伏見でおこなった茶会に宗湛が招かれた記録があります。また、それから6年後、『松屋会記』の慶長8年(1603)10月12日条には、道安が堺で松屋久好を招いた茶会が記録されています。道安も秀吉から許されて再び茶堂にとりたてられ、秀吉の伏見城の近くに住んでいましたが、慶長3年に秀吉が没して道安は堺に帰ったのでしょう。
道安は堺にもどってから、慶長5年には大徳寺の春屋宗園(しゅんおくそうえん)より「眠翁(みんおう)」の道号を授けられました。さらに翌年には「茶の湯道歌」(表千家不審菴蔵)をしたためています。
道安は利休の堺の家屋敷を相続し、その地において利休居士の茶の湯を継承しました。


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