たとえば、宗旦が好んだ一閑張の棗は、木地に紙を張って漆を一度塗った簡素な味わいの物で、宗旦の「そそう(麁相・粗相)」な茶の湯を象徴する道具の一つです。
その一方で、宗旦は「金銀をのべたる中に茶の湯在り、馬屋の中に茶の湯在り」と語ったと伝えられます。金銀を広げたような華やかな中にも、また馬小屋のような粗末な中にも茶の湯はあるというのです。この宗旦のことばを伝える『不白筆記』は、「宗旦ヲ侘タル物ト計リ不可見(見るべからず)。珠光ニ竹柱ノ台子在リ。宗旦ニ爪紅ノ台子在リ」とも記しています。
宗旦は東福門院(徳川2代将軍秀忠の娘で後水尾天皇の皇后)と親交があり、その好みによる
爪紅(つまぐれ)の台子や
菊置上の曲水指などの道具も手がけています。また、東福門院より貝桶、貝合わせ香合のような優美で華やかな道具も拝領しています。
宗旦のわびは、簡素だけではなく華やかな世界をも包み込むものでした。それは、利休から受け継いだ揺るぎないわびの心が根底にあり、そのうえで形や表現は自在であったといえるでしょう。こうした宗旦のわびは、珠光、紹鴎、利休、少庵から受け継がれてきたものであり、のちの千家の茶の湯にも伝えられていくことになります。