江岑は多くのことばを残しましたが、そのなかでも
「茶之湯根本、さひた(る)を本ニいたし候」は、江岑が茶の湯の根本として「さび」という理念を大切にしたことがわかります。さびは宗旦もよく用いたことばで、簡素で慎ましやかな茶の湯を意味しています。
仙叟宗室は「心つゝまやかニして、ことは少ニして、心多ニ可通事か」と言い、「利休が茶の湯に結構な料理を嫌ったという咄もこの心か」と語っています。茶の湯は心慎ましく、ことば少なく、多くは心で通わすべきものであるという仙叟のことばは、利休の茶から学んだことを表現したのでしょう。
また一翁は「数寄の道は、りこうになくぬるくなく、唯取廻しのきれい成様ニ嗜事専要候」ということばを残しています。茶の湯の道は利口(頭がよくて要領がよい)でもなく、ぬるく(鈍くて厳しさがない)もなく、ただ取り扱いが清浄で潔く嗜むことが大切であると説いています。
宗旦とは違って江岑、仙叟、一翁は利休を直接知りません。しかし、宗旦から学んだ利休の茶を継承していくなかで、その心を自らのことばで後世に伝えていこうとしたのです。