墨跡は、利休が掛物のなかで最も重視したものです。さらに言えば、茶の湯の道具のなかで最も尊重したものと言えるでしょう。利休の初期の茶会では、圜悟の墨跡が多く用いられています。のちには、大徳寺の開山である大燈国師の墨跡をはじめ、大徳寺の禅僧の墨跡も用いるようになります。例えば、利休は茶会で古渓宗陳(こけいそうちん)の墨跡を掛けていますが、その時、古渓はまだ生存していました。実は、生存している禅僧の墨跡を掛けるのは、利休の創意ともいうべき点だったのです。利休は、生存しているいないにかかわらず、自らが尊敬する人の墨跡を掛けたのです。
さて、利休が好み、大切にした道具はたくさんありますが、特にここにあげられた三つの道具は、利休の茶の湯に欠かせないものでした。そして、利休のわび茶を象徴するものであったといえるでしょう。
この利休の言葉は、利休がわび茶に徹し、その境地に至った最晩年の言葉として受けとめられるのではないでしょうか。