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妙覚寺 山門 |
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永禄11年(1569)信長は将軍義昭を奉じて入洛を果たし、またこの年、堺に二万貫の矢銭を課し、翌年堺をもその支配下に治めます。
以後、今井宗久、千利休など堺衆は信長との関係を深めることとなり、信長入洛の折には茶の湯をもってその側に仕えるようになります。また信長は政治支配と茶の湯をむすびつけています。
当時の京都の町中には、町衆の支持する法華宗の寺院が多く、特に立地的にもすぐれた室町二条の妙覚寺には度々宿泊しています。
これらの寺院などで懐柔のためともいえる茶会が催されますが、この折利休も伺候し茶を点てており、利休はいよいよ政治的な舞台に登場することになります。
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