天正19年(1591)2月始めに堺の屋敷へ蟄居した利休は、同月25日に秀吉から切腹の命を受ける。そこで辞世をしたためて京に上り、28日聚楽屋敷にて自刃された。
千家では新暦の3月27日を利休忌として供養の茶会を催し、居士の遺徳を偲んでいる。
祖堂で行われる大事な行事の一つが利休年回の茶事である。
利休の辞世が千家に戻ったのは、百五十年遠忌(如心斎の時代)の後で、以来五十年遠忌ごとに、利休辞世の句を祖堂に掛け法要並びに茶事が行われてきた。近年では平成2年の利休四百年遠忌であった。
ちなみに常の利休忌には元伯宗旦の利休辞世写が掛けられている。
利休の流れを伝承するのに、皆伝の相伝というのがある。これこそ利休の流れをくむ家元の継承には欠くことのできない儀式であり、利休居士をお祀りする祖堂内で行われるもう一つの大切な茶事である。
利休を祀る祖堂だから、その前に自ら水を張ったであろう大蹲踞が配置されている。その水で清めを受けて入席すれば、どれほど敬虔な気持になれることなのかと、思いを巡らせてもらいたい。