利休の初期の四畳半は、壁の仕上げが床だけが紹鴎と同じ張付(はりつけ 鳥の子紙を貼った張り壁)で、他は土壁であったという。まだ草庵の茶室の趣はなかったであろう。
これは、床の間には唐物道具を飾るということを、前提としているからである。
貴重な唐物道具を所有している人たちとの交流には、こうした道具を引き立てる華やかな構えが必要であったに違いない。
しかし、小間(四畳半より狭い二畳半とか三畳)の茶室も、すでに紹鴎の時代にもあったという。おそらく唐物を使わない、また所持できない人たちのための席なのであろう。唐物道具を飾らないとするならば、床は畳一畳分も必要ない。さてどれほどの広さがあればよかったのか。
壁も張付け床から土壁に変わっても、大きさが一間もあれば、侘びた茶席にはなりにくい。
やがて道具の趣向と共に、床の間は小さくなっていく。
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