当時までの門構えはよくわかっていないが、一位様お立ち寄りのあと今の表門を紀州家から拝領することとなった。その年の8月15日の棟札が残っている。冬には引き続き一位様の姉、芳樹院様がお立ち寄りになり、了々斎はお茶を差上げられた。
江戸から明治へと世の中の大きな変革を乗り越え、茶道宗家としての威厳を保ちながらそびえていた表門。
しかし築84年目に大きな出来事があった。明治39年(1906)の火災である。幸いにも御蔵、表門は罹災を免れたけれども、当時の家元である十二代惺斎は、世間にはばかって大門の扉を閉め、謝意とされたのである。現在も特別な行事以外は、開けられることがない。
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