点雪堂(てんせつどう)へは半蔀(はじとみ)という中門(ちゅうもん)をくぐり、長さ3メートルほどの石橋を渡る。
半蔀は平安時代の寝殿造りにある、窓を外に突き上げて開ける方法から、露地の簀戸(すど)を竹などの支えで持ち上げて通路を開けるのに似ているので生まれた名称であろう。
亭主側からしか開けることができないのは、他の中門と一緒で、形式的なセキュリティーなのだ。こうしたことも、俗世間から出世間への仕掛けの一つである。
三百年程前の千家の露地も、大きな枯池が掘られていたそうだが、今も石橋の下は空堀(からぼり)で、南西の端にはいかにも涼やかな水が湧き出してきそうな石組みがされている。
この水の流れつく先に、かつての枯池にも据えられていたという聚楽第(じゅらくだい)から拝領した大きな蹲踞(つくばい)が待っている。
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