かつて即中斎宗匠の時代に風でこの木が倒れたことがあった。露地の植木は、景観を替えないために同じ木を植えることになっている。そこで今も同じ場所に棕櫚がすくすくと育っている。 ただ即中斎宗匠も、棕櫚が植えられている理由はわからないとおっしゃったそうな。
中潜のすぐ側で、松と松との間に挟まれた空間にすくっと伸びているのだが、ただ棕櫚皮という暗褐色の繊維が幹を包んでいるので異形な感じがする。
ところで古くから束子(たわし)や座敷箒として、この繊維を利用している。また水屋に常備する釜箒(釜底を掃除するもの)も棕櫚皮である。
棕櫚は幹の先端に扇のように葉を広げ、数十枚の熊手のようになっている。 これを青竹の先にくくり、箒の姿にするのが棕櫚箒(飾り箒)で、外露地に吊すのを定めとしている。ちなみに内露地には蕨(わらび)箒を吊るのが決まりである。そんな用のために棕櫚の木が植えられてあったのかと、勘ぐるのも愉快である。
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