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茶の湯の菓子
利休以前の菓子 茶の湯の菓子イメージ

天文年間(1532〜1555年)の茶会記を見ると、茶の湯の菓子は、今我々が口にするものとは、全く趣を異にしています。砂糖(三盆糖)が普及して大きく変化したと思われます。
茶会記には料理の終わりに菓子が記述されております。『松屋会記』天文8年(1539)9月13日の朝茶では、利休が松屋久政(まつやひさまさ)を呼んでおりますが、「京都与四郎」の記述を利休とすれば、若干17歳であり、京都というのにも疑問が残り「宗易(利休)事也」は後日の付記とも言われております。 会記には、「クワシ(菓子) イテモチ(凍餅)、ヤキクリ(焼栗)」とあります。
この前日12日の十四屋宗伍(悟)の朝会にも、「菓子 こぶ(昆布)、ヤキクリ(焼栗)、クワイ(慈姑)」と記述があり、これが茶会記における菓子の初見でもあります。
菓子は、あくまでも料理に付帯したもので、次に濃茶を喫するための口直し的な存在です。
菓子として記述されたものには「羊羹(練り羊羹とは異なり、小豆を主原料にした蒸し物)、芋の子(小芋)、山の芋、麩、昆布、蜜柑、柿、萱、蜘蛸、煎り餅、ありの実(梨のこと。「無し」の表現を嫌う)」があり、これを見ると、菓子の趣が非常に異なったものであることがわかります。

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