慶長6年 1601
千宗旦、大徳寺の春屋宗園より「元叔」の号を授けられる。
宗旦は東福門院(1607-78 徳川2代将軍秀忠の娘で後水尾天皇の中宮)、近衛信尋(1599-1649 後水尾天皇の弟で近衛家18代当主)らの禁裏・公家とも交流があった。
慶長15年 1610
古田織部(1543-1615 千利休の弟子で徳川将軍家の茶道指南)、茶の宗匠として名をあげる。また、織部は茶会で 「ヘウケ(道化)モノ」の茶碗を好んで用いた。
慶長19年 1614
千少庵没し、千宗旦が千家の家督を相続。
少庵は徳川2代将軍秀忠の知遇を得た。千家には香箱を献上したことに対する秀忠の礼状(香箱の文)も伝わる。
本阿弥光悦(1558-1637 蒔絵、陶芸、書などにすぐれた上層町衆)、徳川家康(1542-1616)より
京都鷹峰の地を拝領。
元和4年 1618
織田有楽(1547-1621 織田信長の弟で有楽流の流祖)、京都の建仁寺正伝院に「如庵」(国宝)を建てる。 |
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1602
オランダ東インド会社創立。
1609
オランダ東インド会社、 長崎県平戸に商館を設置。
1610
オランダ、日本から茶を輸入。西洋にもたらされた最初の茶といわれる。
1611
イギリス東インド会社、長崎県平戸に商館を設置。
1613
中国明代の喩政、『茶書全集』 を刊行。
1618
ロシア皇帝に中国の茶が献上される。 |
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