享保8年 1723
覚々斎、徳川8代将軍吉宗より「桑原茶碗」(唐津茶碗)を拝領。
享保11年 1726
近衛家熙(1667-1736 近衛家21代当主)大徳寺へ御成り 、覚々斎、如心斎によって薄茶を饗される。
享保19年 1734
如心斎、茶杓三十本を削って北野天満宮に寄進(北野三十本茶杓)。
売茶翁高遊外(1675-1763 煎茶道の始祖とされる)、京都に通仙亭を構え売茶活動をはじめる。
元文3年 1738
永谷宗円(1681-1778 宇治の茶師)、蒸し製の煎茶(青製煎茶)を考案。
元文5年 1740
如心斎、利休150年忌に際し、大徳寺の聚光院に茶室「閑隠の席」を寄進。
寛保1年 1741
如心斎らによって、七事式(茶の湯の新しい稽古法)が制定される。
延享2年 1745
川上不白(1719-1807 江戸千家の流祖)、如心斎の許しにより、江戸で表千家流の茶の湯の普及につとめる。 |
|
|
1701
赤穂事件。
1709
徳川家宣が6代将軍となり、新井白石を登用。
1716
徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革はじまる。
尾形光琳没。
1724
近松門左衛門没。
1743
尾形乾山没。 |
|