文化6年 1809
速水宗達(1727-1809 速水流の流祖)没する。宗達は裏千家 8代の又玄斎宗室に茶の湯を学び、『茶旨略』 『喫茶指掌篇』 『茶則』 を著した。
文政5年 1822
了々斎、紀州徳川家10代治宝(1771-1852)の御成りを迎え、紀州徳川家より武家門(現在の表門)を拝領。
天保6年 1835
玉露の製法が発明される。
天保7年 1836
吸江斎、徳川治宝より 真台子の点前の皆伝を授けられ、利休の茶の湯的伝を伝える。(吸江斎は幼少で家元を継いだため、皆伝は一時、了々斎より治宝に預けられていた。)
天保10年 1839
吸江斎、祖堂(利休堂)を改築し、利休250年忌をつとめる。
弘化4年 1847
稲垣休叟(1770-1819 啄斎の門人)の 『茶道筌蹄』 が刊行される。 |
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1817
イギリス船、浦賀に来航。
1825
異国船打払令。
1827
小林一茶没。
1829
松平定信没。
1841
天保の改革はじまる。 |
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