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茶が最初に中国から日本にもたらされたのは8世紀と考えられています。当時、日本は遣唐使を派遣して、唐の文化を積極的に受け入れていました。茶もまた、唐の最新の文化として日本に持ち帰られたのでしょう。
確かな日本の正史に茶の記事がはじめて登場するのは、9世紀の初頭、嵯峨天皇の時代です。『日本後紀』の弘仁6年(815422日の条に、嵯峨天皇が琵琶湖西岸の韓(唐)崎へ行幸した帰途、大僧都永忠より茶を献じられたと記されています。
以後、茶は漢詩文学の世界にしばしば登場するようになります。しかし、現実に喫茶の習慣が定着していたということではなく、茶は詩のなかの風流の世界であったようです。従って、中国文化へのあこがれが次第に薄れてゆくなかで、茶に対する思いも次第に消えていきました。遣唐使が廃止されて国風文化の時代が到来する10世紀以降、茶は「季御読経」という宮中の特殊儀礼などに伝承されるにとどまり、茶の歴史は中断に近い状態になったと考えられます。

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『日本後紀』 にほんこうき
承和7年(840)成立。 勅撰の史書で、六国史の一つ。
永忠 えいちゅう
天平14年(742)-弘仁7年(816)。平安時代の僧。入唐して最澄らとともに帰朝し、近江の崇福寺・梵釈寺の検校をつとめた。
漢詩文学 かんしぶんがく
平安時代に成立した勅撰三大詩集『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』のなかには茶の詩が多くみえる。
季御読経 きのみどきょう
宮中の仏教儀礼で、このとき僧侶に茶が供された。
Japanese Tea Culture

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