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昭和15年(1940)頃をさかいに数寄者の茶が衰退していくなかで、家元を中心とする流儀の茶の湯が大きな発展を見せました。昭和15年は利休350年遠忌にあたり、三千家によって法要と茶会がひらかれましたが、明治維新の頃にほとんど弟子がいなくなったことがうそのように、再びたくさんの茶を学ぶ人々がその法要に参加しました。興味深いことは、その多くが女性であったことです。近代の女子教育のなかで茶の湯がとり入れられたことも一つの理由ですが、それにもまして茶の湯は近代の女性にとって必須の教養となったからです。家元を中心とする茶の湯の隆盛は、その後戦争にもかかわらず順調に発展をとげ、日本を代表する伝統文化として、こんにち内外でひろく認められるに至りました。人と人とのつながりがうすくなり、心の渇きを感じることの多くなった現代社会のなかで、茶の湯は人々の心を癒(いや)す文化としておおいに期待されるものがあります。

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Japanese Tea Culture

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