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14世紀、茶は寺院から武家社会へ、さらに庶民の生活へとひろがります。『沙石集』には次のような説話が見えます。ある牛飼いが、僧侶の茶を飲むところをのぞき見して、私にももらえないかと尋ねたところ、僧侶は、茶というのは三つの徳がある薬だと答えました。一つには眠気ざまし、二つには消化を助ける効果、三つに性欲を抑制する効果です。この話を聞いた牛飼いは、そんな薬はごめんですと逃げ出したといいます。『沙石集』が成立したのは鎌倉時代の後期。この説話で、牛飼いは茶の愛好者とはなりませんでしたが、この時期、茶が寺院の生活から武家社会、さらに一般民衆の世界にも普及していたことを暗示しているといえるでしょう。もはや、茶は薬としてではなく、嗜好飲料として飲まれるようになり、喫茶の文化が定着していきました。こうした喫茶文化の普及は、茶の需要を増加させ、その生産を地域的にも量的にも拡大させました。その結果、茶の名産地や等級が生まれ、茶の味を飲みあてる「闘茶」というゲームが流行するようになります。ことに南北朝の動乱期に登場してきたバサラ大名佐々木道誉が、中国から舶載された美術工芸品(唐物)で飾り立て、豪華な景品をかけて闘茶会を楽しんだ様子が、『太平記』に詳しく記されています。15世紀になると、喫茶文化は大きな二つの展開を見せます。一つは茶会という茶を中心とする宴会が成立したことです。「茶会」の語は『喫茶往来』にはじめて登場しますが、それは、千利休の時代に定められた茶会の基本的なかたちとよく似ていました。第二の展開は、『君台観左右帳記』のような、足利幕府の正式な部屋飾りを定めた書物のなかに、茶の湯を準備する部屋の様子や道具が記されてくることです。この時期、茶は嗜好品の時代から、やがて独自の思想と様式を整えた「茶の湯」成立の時代へとかわりつつあったといえるでしょう。

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『沙石集』 しゃせきしゅう
弘安3年(1283)成立。鎌倉時代の仏教説話集。
南北朝の動乱期 なんぼくちょうのどうらんき
足利尊氏が光明天皇(北朝)をたて、吉野にのがれた後醍醐天皇(南朝)と対立した時代。日本史における大きな変革の時代であった。
バサラ大名 ばさらだいみょう
「バサラ」は、異風異体ともいうべき珍奇なものを好む美意識をいう。佐々木道誉は「バサラ大名」の象徴的な存在で、放埒、傲慢な常軌を逸した数多くの奇行が伝えられる。
『太平記』 たいへいき
南北朝の内乱を描いた軍記物で、建徳2年・応安4年(1371)頃に成立したとされる。
Japanese Tea Culture

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