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17世紀の後半から18世紀は、茶の湯の遊芸化の時代といえるでしょう。ことに元禄文化の時代から都市文化が発達し、さまざまな芸能を「遊芸」として愛好する人たちが増大しました。井原西鶴の文学作品にも、町人が遊芸に親しむ話がしばしば見えますが、なかでも遊芸によって身を滅ぼしてしまった話などはよく知られるところです。遊芸とは遊びとして楽しむ芸能を意味しますが、武家町人を問わず、江戸時代の上層階層が互いにおつきあいをするうえで必要な教養でもあったのです。
茶の湯も遊芸の一つとして楽しまれるようになります。こうした茶の湯人口の増大により、茶の湯を教授するプロフェッショナルな師匠とたくさんの素人の弟子があらわれ、家元制度が完成されます。
18世紀中期には、
七事式という集団でおこなう新しい稽古法が表千家7代の如心斎宗左を中心に考案され、ますます茶の湯が人気を得ました。さらに、19世紀には都市ばかりでなく、農村地域にも茶の湯はひろがりました。

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元禄文化 げんろくぶんか
江戸時代の元禄年間(1688-1704)を中心として栄えた文化。江戸、大坂など都市の経済的発達にともない町人を基盤とする文化が花開いた。
芸能 げいのう
演者と観客の間に成立する「見る」「見られる」という緊張関係、全く同じ形では繰り返すことができない一回性と形を残さない無形性、日常性を超えた非日常の世界への変身願望を要素としてそなえた文化。
井原西鶴 いはらさいかく
寛永19年(1642)-元禄6年(1693)。江戸時代の浮世草子作家。『好色一代男』『日本永代蔵』などの作品をのこし、元禄文化を代表する作家。
Japanese Tea Culture

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