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明治30年代すなわち1900年前後から、財界、政界の富裕な人びとが茶の湯に興味を持つようになりました。彼らを近代数寄者と呼んでいます。数寄者たちは従来の茶の湯にこだわらず、日本美術という観点から茶の湯の名物道具を積極的にとり入れ、ゆたかで豪華な茶の湯をつくりあげました。
その代表的な人物として、三井物産の創始者である
益田孝(鈍翁)がいます。益田鈍翁は、こんにち国宝あるいは重要文化財に指定されているような数々の美術工芸品をコレクションし、これを展観しつつ多くの人々を集めて茶会をひらきました。その茶会がこんにち大師会として続いています。そのほか根津嘉一郎(青山)小林一三(逸翁)五島慶太などのたくさんの数寄者が、そのコレクションを根津美術館、逸翁美術館、五島美術館といった、美術館という形で残しています。
数寄者たちは茶の湯を趣味として近代的な国民の教養に変貌させることに成功しました。          

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近代数寄者 きんだいすきしゃ
明治以降、趣味として茶の湯を楽しんだ人をいう。ことに財、政、官界の要人が多くをしめ、近代における茶の湯の復興に大きな役割を果たした。
美術工芸品 びじゅつこうげいひん
鑑賞の対象としてだけではなく、実際に「用」の側面も持つもの。
Japanese Tea Culture

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