江岑宗左の紀州家出仕から間もない正保3年(1646)、宗旦は隠居し、家督を江岑に譲り不審菴を継がせました。これが現在の表千家の始まりであり、「宗左」の名はこれより後、代々の家元に受け継がれることになります。
隠居した宗旦は屋敷の裏の地に隠居所をつくり、四男の仙叟宗室を連れて移り住みます。後にその屋敷を宗室に譲り、その地にて宗室が裏千家をおこしました。また江岑の兄2人のうち、長男の閑翁宗拙は早くに家を離れます。また次男の一翁宗守も当初は塗師として修行していましたが、晩年千の姓に戻り武者小路千家をおこしました。こうして、宗旦の3人の息子たちによって、現在まで続く三千家の礎が築かれたのです。
また江岑は久田家より養子としてむかえた5代の随流斎(1650-91)に宛てて、利休以来の教えを書き留めた文書を記しました。こうした江岑の努力により、利休流の茶の湯は代々の家元により今に伝えられることになるのです。
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