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明治維新1868)による社会の大きな変革の波は、茶の湯の世界にも及びました。一部の武士と、上流の町人によって支持されていた茶の湯でしたが、徳川幕府の終わりとともに紀州徳川家への出仕も終わり、また一般の人々の茶道に対する興味も薄れ、茶の湯は衰退の道をたどったのです。
こうした状況のなか、11
碌々斎1837-1910)は家元としての古格を保ちながら、茶の湯の復興に力を注ぎました。やがて数寄者と呼ばれる政、財、官界の要人ら、新たな茶の湯の庇護者が登場し、茶の湯文化は活力を取り戻します。さらに12惺斎1863-1937)の時代になると、茶の湯は女性の教養の一環として受け入れられ、次第に茶道人口は増加していったのです。また明治13年(1880)には、北野天満宮において碌々斎による献茶がはじめて行われました。これを契機に現在も各地の神社仏閣において献茶が行われています。
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即中斎1901-79)の時代には、財団法人として家元の組織化がなされました。そして同門会の発足(1942)を機に全国各地における支部が成立、また海外にもハワイ、ロスアンゼルス、サンフランシスコの3支部が誕生し、各地での茶の湯活動が盛んになっていったのです。その後も現在の家元、而妙斎1938-)によって表千家の伝統は受け継がれ、こんにちにいたっています。
このように利休という一人の「個性」が生み出した茶の湯は、やがて千家という「家」によって継承され、その流れを今に伝えます。「国際化」「グローバル化」といわれるこんにち、日本人の生活スタイルも大きな変化を遂げましたが、茶の湯の心は変わらずこれからも受け継がれていくことでしょう。

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明治維新 めいじいしん
幕藩体制が崩壊し、西洋を模範とする新しい政治や制度を導入した改革。
庇護者 ひごしゃ
Japanese Tea Culture

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