4_3_13.gif

文政5年(1822)に紀州家より拝領した門が表千家の表門となりました。武家屋敷の門も、さすがに武家風のいかつさがやわらげられ、茶の家元にも不自然でない姿を小川通りにあらわしています。
門から玄関へ向かう清々(すがすが)しいアプローチ、視界に入る塀や建物のたたずまいは、格式張ったところもなく実に穏やかです。昔から「異風になく、結構になく、さすがに手ぎわよく、目に立たぬ」ことを理想としてきた茶の湯の心意気がみなぎっているようです。利休の聚楽屋敷以来の伝統が今も息づいているのです。各地の門人は、こうした家元の建物や庭のありようを見学して、自身の住まいに取り入れ洗練を心がけてきたのでした。こうした家元の建築や庭が日本の住まいの文化に果してきた役割と影響は実に大きく深いのです。

文字サイズ調整 小 中 大
紀州家 きしゅうけ
紀州徳川家。徳川家康の十男、徳川頼宣(1602-71)を祖とする徳川御三家の一つ。紀州藩55万5千石を領した。
小川通り おがわどおり
京都市の中央部を南北に走る通り。昔は清水の小川が流れており、表千家をはじめとする京都の茶の湯の家元は、この通りに面していることが多い。
Japanese Tea Culture

前ページ     70     次ページ