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天明大火後、表千家の露地は一変しました。不審菴が残月亭から離れて、東へ移ったからです。以前は南から北へ向かっていた露地は、西から東へ向かうことになりました。そして残月亭の南に露地ができ、露地から残月亭へ上がれるようになりました。啐啄斎によって新しい稽古場(七畳)がつくられ、祖堂も建てられました。やがて吸江斎の時、残月亭露地の南に独立した祖堂が西向きに造立されました。
こうして表千家の露地は西方に外露地、残月亭前の露地、東に不審菴の
内露地、そして祖堂前の露地から成る複雑な構成の露地に発展しました。明治39年(1906)の火災で利休堂を残して焼失しましたが、ほとんど変るところなく再興されて、現在に至りました。
大正2年(1913)再建をみた不審菴は、内外ともほとんど江岑以来の姿を変えることなく伝えてきております。表千家を象徴する茶室として、露地のもっとも奥まった場所に南向きに建っております。

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Japanese Tea Culture

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