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如心斎は七事式に適するよう八畳敷の茶室を考案したと伝えられています。啐啄斎は天明大火後、新しい稽古場として七畳敷を、残月亭の次の間の西につくりました。この茶室は七事式に適さないように工夫したと伝えられています。
七畳は残月亭の西の露地に面しており、東の端に濡縁
を設け縁先に手水鉢を据えています。露地を上がるとまず入側があります。
室内は六畳敷で東側の中央に床を構え、床脇に
台目畳を敷いています。正確には六畳台目の広さです。一番奥の一畳が点前座です。床の深さは畳の幅より浅いので、床から点前畳の前まで板を敷いています。
茶道口は襖二本だての口で、その高さが他の出入口より低くしてあるのが注目されます。亭主の出入りする口を、少し低めるのも茶室らしい作法なのです。
床が中央に位置しているので、床柱が左右に立つことになり、右に赤松の皮付丸太を立てています。床脇畳との境は下部の吹抜(ふきぬき)に不揃いの高さの竹を立て、軽妙な意匠を工夫しています。
現在の七畳も啐啄斎時代のたたずまいをほとんどそのまま伝えているようです。

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濡縁 ぬれえん
敷居の外側に付けられた雨ざらしの縁側。
Japanese Tea Culture

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