表千家で古来より大切にされてきた、稽古の心を訪ねてみましょう。
稽古は、「古(いにしえ)を稽(かんが)う」という字のとおり、古人を思いおこし、その経験に習うことといえます。茶道の教授が、学校の授業のような講義形式をとらず、稽古のかたちでなされることには、ふかい意味があります。茶道には、茶を点てる点前やその茶をいただくうえでの約束事が伝えられています。これを「型」といいます。型を理屈として頭で知るだけでなく、からだで覚える。からだで古来のふるまい方を身につけ、主と客が型を交しあう。その型にこめられた心を通わせあい、人に礼をつくし、大切にものをあつかう心身を養う。それが茶の稽古といえるでしょう。型というふるまい方をかけ橋として、心のはたらきを呼びさまし、人と人の心を結ぶのです。
「茶の湯とは、耳に伝えて目に伝え、心に伝え、一筆もなし」と、表千家では伝えられてきました。本来、茶の湯に教科書はありません。稽古を通して「見習う」ことによって、茶の湯の心が伝えられているのです。
そして、茶の湯は、点前の手順を覚えればそれでよいというものではありません。基礎的な点前や身のこなしを反復して稽古することで、からだとこころを整え、礼節ある人格をつくることをめざしています。禅の修行において、まず座ることが重んじられ、座ることこそが悟りをひらく最初の手がかりとされる教えと通じるものでしょう。