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― 茶の湯、茶道において男子の身につける服装について ―
書院の茶がおこなわれた東山時代に活躍した同朋衆は、身分の上下・貧富の差違を越えて貴人に奉仕すべく、僧体の姿をとる者が多く、その着衣は上半身を覆(おお)う偏衫(へんさん)と、下半身にまとう裙子(くんず)を接いだ直綴(じきとつ)の形のものであったと思われます。この直綴は早く禅宗の僧に用いられましたが、やがて直綴の上半身に当る部分が、男子の茶道の礼服として「十徳(じゅっとく)」となりました。紗(しゃ)や絽(ろ)の黒にて作り、共裂の平たい紐をつけ、紋は付けず、夏冬ともに単衣のものです。それらが現れるのは室町時代とみられ、それは現在に引継がれて男子茶人の一部に着用されています。「十徳」は流派によって違いがありますが、一般に上級の相伝(そうでん)を引継いで、長い年月の修行を履(ふ)んだ者に着用を許される習いです。
利休の時代の話として伝えられるものに、僧侶や剃髪(ていはつ)した隠居の老人は、その着衣の多くは黒か鼠色の無地の着物でしたが、世間の他の男子は華麗な色彩の絵や文様の着物を用いる習慣であったといいます(ルイス・フロイス著『日欧文化比較』)。
また江戸初期、利休の息、少庵の屋敷(現在の表千家)へ高山右近が茶に訪れた際、「十徳の新しいもの」を露地口にてつけ、緊張しつつ席入りしたことを四代の江岑宗左が記しています。江戸時代ごく初期に「十徳」の語の現れた例の一つでしょう。
茶道修行の若い者には、「上下(かみしも)」の一部、肩衣(かたぎぬ)を着せる習いがありました。
江戸時代の初め以来、町人の正装に、服・羽織・袴をそろえ、五ツ紋・三ツ紋・一ツ紋など衣服・羽織に紋を付ける習いも現在に引続いています。

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同朋衆 どうぼうしゅう
鎌倉時代にはじまった抹茶の飲用は室町時代に到ると、書院・会所における唐物の展示鑑賞と主客共にする喫茶の流行を生んだ。主客が同座する書院での喫茶の奉仕には、唐物奉行(からものぶぎょう)とか同朋衆とよばれる、頭をまるめた僧体の人々があたった。
Japanese Tea Culture

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