また、「職家」の歴史を見てみますと、「職家」の名で呼ばれる家々は、かつては十家に限られてはいませんでした。江戸時代半ばの7代如心斎・8代

この「職家」と呼ばれる家々では、茶事や茶の稽古に必要なすべてを、各家が分担して調製し、家元や茶の湯愛好者のもとめに応じています。また、茶の道具の基本・基準としての千利休の好みによる形や色が、「職家」の各家で守られ、それぞれの時代の創意工夫が加えられ、今日に伝えられています。このことが「千家十職」の核にあたる意義といってよいでしょう。
また、茶の湯の道具を制作する職家たちは、ただ単に伝統を固守するだけではなく、自らの創造性や創造意欲を、使い手の利便性や注文主の意向をふまえながら、新しい道具制作に生かしているのです。ここに、永い歴史を背景にした職家の独自の立場や気構えがあり、いわゆる芸術作家との違いがあるといえるでしょう。