天正6年(1578)〜万治1年(1658)。千家3代。父は少庵。清貧に甘んじて利休のわび茶の継承につとめたが、宗旦が息子たちに宛てた書状から、息子たちを茶堂職として仕官させるために奔走していたことがわかる。茶家としての千家の確立と存続につとめ、また大名、公家、僧侶、町衆などと幅広い交流があった。