茶の湯と禅の関わりを示す禅語。大林宗套が武野紹鴎の画像に賛をしたなかにこの語がみえる。茶と禅が同一であるというのではなく、茶味は禅味を兼ねるといった意味であろう。ことに千利休の時代から、茶の湯と禅との結びつきが強くなった。