村田珠光
むらたしゅこう

応永30年(1423)〜文亀2年(1502)。父は奈良東大寺の検校村田杢一と伝えられ、称名寺の僧となる。のち一休宗純に参禅し、その印可証明として「圜悟の墨跡」を与えられた。「心の文」を著し、茶の湯を「道」としてとらえ、唐物の茶の湯に和物との調和を提唱。わび茶の祖とされる。